大坂夏の陣で散った女性の物語

お菊は、文禄4(1595)年、豊臣秀次(とよとみひでつぐ)と小督局(こごうのつぼね)の間に生まれ、両親の没後は母方の縁者の養女として育ちます。成人し紀州名草郡(なくさぐん)山口村の代官山口兵内(やまぐちへいない)と結婚しましたが、直後に大坂(おおさか)夏の陣が起こり、豊臣方についた夫のため、徳川(とくがわ)方の情報を記した密書(みっしょ)を携(たずさ)え、大坂城へと向かいます。
街道を避け山道を進み、堀河(ほりご)谷あたりから経納山(きょうのうやま)へとたどり着いたころ、自らの黒髪を断って男装し、その髪をかたわらの松の根元に埋めたと伝わります。お菊はその後も間道(かんどう)をひた走り、ようやく大坂城の夫のもとへと密書を届け、使命を果たすことができました。
帰路、戦況の悪化を知ったお菊は養家へと身を隠しましたが、やがて夫の討死、大坂落城の悲報がもたらされました。お菊もまた徳川方に捕らわれ、敵方の助命を不服とし自ら死を望み、紀州田井ノ瀬(たいのせ)河原で処刑されます。お菊20歳の時のことです。
現在、経納山にはお菊の顕彰碑が建てられ、お菊松、お菊山として親しまれています。

ササユリの咲くハイキングコース

標高333メートルのお菊山は、近郊のハイキングコースとして親しまれています。山頂からの眺望素晴らしく、また毎年6月にはササユリが可憐に咲きほこります。

住所 泉南市信達葛畑
電話番号 072-447-8811 (泉南市役所プロモーション戦略課)
アクセス 【電車】
JR阪和線「新家駅」徒歩約100分
【バス】
さわやかバス(山回り)「西童子」徒歩約60分
備考 駐車場:なし

地図